top of page
Statement
存在理由を求めて
私は幼いときから考えていました。
「なぜ私は生まれたのか?」
「私は生きていてもよいのだろうか?」と。
存在する理由や価値がなければ、自分の存在は許されないのではないかと、私は感じていたのです。
だから私は想像の世界を描き、そこに少女を配置し、役割を与えています。少女たちは肖像画のように単にポーズを取る「カワイイ子」ではなく、何らかの行動をしています。
絵の中の世界を動かすこと、それが少女たちの存在理由です。子どもの頃からほしかった「自分がいてもよいのだという感覚」を、私は少女たちに与えています。
日本のマンガやアニメーションに囲まれて育ったので,
無意識的にもそれらの影響は受けているのですが、日本のアーティストとして、私はそれを意識化し、キャラクターのような少女たちを、私は油彩でリアルに表現しています。
その少女を日本の伝統的絵画に配置することもあります。"kawaii" 少女たちの不思議な実在感に、東洋と西洋の融和を見て取ることができるのではないでしょうか。
少女のいない幻想的な風景画も描くようになりました。世界は少女がいてもいなくても、生き、動くのです。
さらに近年では、「存在意義はなくても、存在している」をテーマに、存在者の顔だけを描いた作品も発表しています。
顔というのは、人の個性を象徴する部分でありながら、ときに匿名性を帯びたものにもなり得ます。このシリーズに登場する「存在者」たちは、明確な物語を持っていません。しかし、彼女らは確かにそこに「います」。意味を問われることなく、ただ存在するのです。
この作品群は、意味や役割なしで、「ただ在ること」を肯定しようとする試みでもあります。
bottom of page